『冬の海』 
作者:HAPPYENDさん

冬の海

Vol.1〜Vol.25
(未完成です。)


Vol.1】
海に、行った。冬の海がこんなに美しいものとは思わなかった。
それは、わたしの心情がおそらく反映されていたからだろう。
通りゆく漁船がゆらゆらと目の前を東から、西へと移動するのがわたしには、幻灯のようにしか見えなかった。

わたしの心情? これは、一体なんなんだろう?
人への恋愛のことか?
自分自身の生き方に対する不満の鬱積か?
いや、行動のすべてに感じる不毛の思いだろう。
わたしは、このごろ精神的な不安定を感じるときがあることに思いついている。



Vol.2】
ロックで飲むターキーは、のどを刺激しながら熱く胃臓に流れて行った。
彼女は、ストレートですこしづつ飲んでいる。
すこしの間、沈黙があった。
一体、わたしはどうしてここで、彼女とほとんど体が触れるくらいなところでいるのだろう?
そう、思った矢先、

「続き聞きたい?」
彼女がそういうのをわたしは、ただうなずいただけだった。
興味本位で聞くのではないが、聞かないことで気持ちが納まることは考えられなかった。

「父はね、最初は会社の同僚からお金を借りていたみたい。家を建てるから、
頭金にするからとか言って。それを何人にもして、返済の約束が
守られなかったから、借りた人たちが怒りだしたの。
そこでね、思いついたのがさっき話をしていたこと、つまり、犯罪なんだよね。
新聞なんかで見てると馬鹿げたことをしてるなあ、って思う銀行強盗なんだよ。

現金輸送車を狙って、覆面をして模造のピストルで脅かして、お金を奪おうと考えたんだね。
でも、そのときね、思いもよらないことがあったんだって。
現金輸送って大抵は専門の運送業者の現金専門の車両つかうよね。
それが、運送業者も銀行とこの手の犯罪を防ぐためにいろいろ手を打っていて、
その日は普通の車を使ったみたいで、父は計画を練ってから何度も下見をしてたけど、
その日に限って頑丈な現金輸送車じゃなかったのね。

あわてた父は、それでもいくらかのお金があると思って、ピストルで脅かしてお金を奪おうとしたんだよ。
もうね、多いとか少ないとか考えられなかったみたい。あ、お金がね。

結局、1000万円くらいしか入ってないバッグを奪って、盗んだ車で逃走したんだけど、その時はうまくいったみたい。

でも、すぐに警察が動き出したのね。
あたりまえだけど。それで、自分の身辺に捜査が及びそうになったのを察したのか、盗んでから、5日目くらいかなあ、
母とわたしを呼んでね、畳の上に輪のように座って、こう言い出したんだよ。



Vol.3】
わたしが海辺でBeerを飲んでいたら雨が降ってきた。
通り雨かなとも思ったが、どうやらそうでもなさそうだ。
車に戻ろうと思ったのはその雨がやや強そうだったからだ。

車にはすでに、雨が降り込みシートが濡れていたが、オープンカーだからしかたない。
あわてて、カバーをかけて乗り込もうとしたときのことだった。

女性の声がしたのだ。

わたしが、どういう状況にいたのかを説明しておく必要があるだろう。
それはその時のことではなく、一般的に言われるわたしの社会的は立場のことだ。
わたしは、すでに結婚をして子供も3才になろうとしていた。つまり、妻子ありだったと言うことになる。
言うこと?これは過去形であるが、どうして過去形であるかはそのうちにわかってくることと思うので、今は特に言及しない。

声はちょっと、うわずっていたような気がしたがそれはきっと、わたしの思い違いだろ
う。
「すみません、ちょっとわたしの車を見てくれませんか?エンジンがかからないのです!」

正直なところわたしは車はすきであったが、メカニズムにはそんなに自信がなかった。
それでも、「どうしたのですか?」と言って彼女の車を見に行ったのは、彼女のとてつもない憂鬱な表情がそこにあったからだろう。



Vol.4】
息を切らして走ってきた彼女の車は、わたしでも分かるくらいの簡単なバッテリーの
不調だったので、エンジンがかかるようになるのにそんなに時間はかからなった。

「どうも、ありがとうございました」と言う彼女を見て、初めて気がついた。
思いもよらないような瞳がきらめいているにもかかわらず、全身から醸し出す雰囲気は、
なにか重要なことを秘めているのをわたしには感じとることが出来た。

「あのう」と言ったのはわたしの方である。
「時間があるようでしたら、寒いので熱いコーヒーを飲みにいきませんか?」

彼女は一瞬、とまどったようだったが「はい」と言って彼女の車に乗るようにわたしを招いたので、
わたしは言われるままにその古いワーゲンに乗ったのだった。



Vol.5】
古ぼけたワーゲンは、きしむ音さえ出しながら走っていた。
海岸に平行に走る幅の広くもない道を無心な感じを思うほど静かに、
いや、そう言えば海岸にうち寄せるささやかな波の音は耳に入っていた。
まるで、それが彼女の思いを表現しているかのように。

曲がりくねった道を通り過ぎて、山側の細い舗装もされていない路地に入っていった。
そこには、50年は経っているだろう、古ぼけた建物があった。
喫茶ではなかった。民家のようだ。

「ここは?」と聞こうとするわたしの声を遮るかのように、
彼女は「よかったらここでコーヒー飲みませんか?」と言った。
「ストーブは今、つけますから」

2階建ての木造の建物だった。生活の臭いはほとんど感じられかなった。
ドアを修理したのか、「つぎはぎ」のように板が打たれていてその色がまだ、新しい。
古いが洋風な建物のせいだろう、落ち着いた調度品が違和感なく置かれていて、そ
れが奇妙に建物の雰囲気に一致していたのを、わたしは忘れはしないだろう、
ここに来た瞬間にそう感じたのは、一体どういうことだったのか?

「どうぞ、こちらに」
彼女が微笑みながら、手で招いているのはテーブルのほうだ。

わたしは、引き込まれるようにそっちに向かって歩いていった。
ゆっくりと、重々しさを感じさせるくらいの速さで。

そこにあったのは、二つのカップに入った熱い湯気をまわりに振りまいている
コーヒーと、分厚いアルバムだった。



Vol.6】
白熱灯の灯りがテーブルの上を照らしていた。
どこからか風が入っているのか、わずかに揺れている電灯が部屋全体を揺らしているような気分にさせる。
つけると彼女が言ったストーブは、古い型のものですぐにはとても
暖かくはなりそうにない。やはり、寒い。

そう言うわたしの思いを感じたのか、
「コーヒーどうぞ」
と言いながらわたしの方にカップを持ってきて、彼女は木製の分厚いテーブルの周りのある、
3つの椅子のうちのわたしが腰掛けている隣に来た。

とまどいはなかった。あわてることもなかった。
ただ、隣の椅子に座っているだけだ。そう、自分では思っているつもりだったが、会ったばかりの人に近寄りすぎではないか、
と彼女を訝った。

驚くような透明な感じをさせる顔であった。
顔立ちはやや、細面というのだろうか、いわゆる面長である。特に目に付いたのは彼女のまつげが長いこと、
そして冷たさを感じさせるような、透明感だ。

彼女の顔に驚いているわたしを、無視するかのように語りかけたのは、彼女のほうだった。

「わたし、人を殺したことがあるの」



Vol.7】
そう言って彼女は、
「気をつけた方がいいかもね」
と付け加えた時の顔は、初めて見る笑いをわずかに感じたのでわたしはそれほどの恐怖感はなかった。
それにしても、殺人とは聞き捨てならない言葉である。しかし、わたしは、平然を装っていた。これから、
彼女から殺人については聞くことがあるだろう。
今からか、それともずっと後になるかはしれないが。

わたしは、コーヒーを飲んだ。熱かった。
その熱さがいままでの彼女の不気味とも言っていい雰囲気を一掃するのには、都合がよかった。
「熱い!」
そう言ったわたしは、ただ怖さを紛らわすのが目的だったのかも知れない。

「これ見てくれない?」
と、彼女が差し出したのはテーブルの上に置いてあった分厚いアルバムだった。
アルバムなんて、つまらないものだ。
人のアルバムにはその人だけが感じたその時々の想いでがつまっているだけで、他人が見てどういうことでもない。
そう言うのがわたしの最初の思いだった。
しかし、興味があったのはさきほどの彼女の言葉からくる好奇心がわたしに湧いて来ていたからに違いない。

彼女は、アルバムをわたしの方に近づけ、自分自身もわたしに近づいた。
「どうこれ?」
そこには、ただ大人の男女が二人と彼女らしい6才くらいの女の子が海岸を背景にして、こっちを見ている写真があった。
「不思議でしょ?」
そう言って彼女は、声をちょっと出して笑った。




Vol.8】
不思議な感じがしたのは、どうしてだろう。
確かに、家族が揃って写真に映っているようなのだが、どうにも
異様な感じがしたのは、事実だった。
背景が海だけと言うのが珍しいのか?
それぞれの立っている距離がやや、離れているのがそうなのか?
春か初夏らしい光景なのに、明るさがないからなのか?
いや、違う。

笑っていないのだ。
みんなが、無表情でこっちを向いているだけなのだ。
これは、異様と言っていい。能面のような三人が海をバックにこっちをただ見ているだけなのだ。

「不思議だね」
そう、わたしが言ったのは彼女がコーヒーをすすり始めた時だった。
彼女は目を閉じて、何かを思い出そうとしているようだった。

*******
ワタシハ何時ニナッタラコノ世界カラ逃レラレルノダロウ。
アノ時ガ始マリダッタノダ。
ワタシノ横ニハ、今日知リ合ッタ人ガイル。デモ、彼ハナンニモ感ジルコトハデキナイダロウ。
イクラ、ワタシガ叫ンデモ、訴エテモ。シカシ、ココニ来テ貰ッタノハ
聞イテ貰イタカッタワタシノ過去ガアルカラニ違イナイ。
チョット待テ。ソウナノカ?
ワタシノ過去ヲ聞イテ貰ッテドウナルトイウノダ?
チガウ。
ワタシハモット、苦シマナケレバイケナイノニ。



Vol.9】
彼女の顔は何かを思い詰めているような、重い表情になったかと思うと、すぐに元のほほえみを浮かべた顔に戻った。
そして、語り始めたのだ。

わたしは、生まれてきてどうだったかと思うときがある。
生と死がどういう物か、あなたは知ってるのかな?わかんないよね。生きていることと、死んでいることの違い。
わたしは、生まれたときから死んでいたの。

どういうことかわかんないでしょ。
生まれてね、3才の時に不治の病っていわれる乳児白血病って
医者に宣告されたんだ。それでも、両親はすごく頑張って世話をしてくれた。

5才には、命がなくなるって分かっていたのに、おとうさんとお母さんは、自分の仕事の合間に看病にいつも来てくれていた。当然? そうかも
知れないね。
でも、わたしの入院費用がとても払えなくなったのは、あっという間のことだった。
だってね、特別な病気でその上、治療費、入院費がかかって、もちろん保険なんかに入られなかったからね。


Vol.10】
「それでね、お金が無くなっちゃったらしくて毎日、お父さんとお母さんがお金の話をしてるのをなんとなく、感じてたの。
わたしはそのとき、まだ4才だったかな、でもわかったよ。お金がなくてわたしを入院させておくのが出来ないって話しているの。

そのうちね、お父さんが呟いたのを聞き逃さなかったけど、それって嫌なことばだったよ。
「盗む」とか「だます」とか言ったんだよ。
母も反対はしなかったように、今でも思っているなあ。
きっと、賛成したと思うよ。

うちの家族は親戚とかなかったんだ。両親の親はすでに他界していたし、兄弟もいるにはいたけど交流もなかった。
だから、お金を借りるってことができなかったんだよね。

そのときの父の仕事は、建築会社で設計してたの。帰るのが大抵は遅かったね。
母もわたしの病気が分かるまでは、同じ会社で事務をやっていたんだけど、わたしの看病のために止めちゃったみたい。

父だけのお給料じゃ、入院費とか払えなかったみたいなの。
普通の病気じゃないから、すごくお金がかかったことは後から分かったんだけど。

それで、もう最後の手段だと思ったんだろうなあ。金策をするには、犯罪しかないって。
持ち家でもあれば、売ることも出来るし借りられたかもしれないけど、アパートに住んでたからね、そのときはもう。
以前はちゃんとした一軒家に居たけどね、それはすぐに売ってしまっていたみたい。

つまり、もう無いんだよ、お金が。そう言う状況ってわかんないでしょ。
全然ない。親がいるとね、なくってもなんとかしてくれるよね。

でも、さっきも言ったけど親が死んだときにはわたしの親の兄たちが、勝手に、
親のすくなかったらしい財産を持ち出してうちにはほとんどくれなかったって。

お金がないと人って変わるもんなんだね。あの父や母が、「ぬすむ」って言っていたんだよ」

そこまで話して、ちょっと疲れたのか彼女は、「ふうっ」とため息をついて、
「ちょっと待ってて」
と言いながら、この部屋を出て行った。



Vol.11
わたしは、彼女から聞きながら自分の過去を同時に思い起こしていた。
そういえば、特にお金の心配をしたことは無かったし、家庭内の問題なんてなかった。

普通の家庭に育って、普通に仕事して普通の家庭を持っている。普通?
しかし、普通ってこういうのが普通なのか?
事件が起こらなかったら普通で、病人がでなかったり、
早死にするひとが家族にいなかったら普通なのか?

彼女は、普通じゃないって?
わたしは自分の中でのひとつの概念の把握の方法と是非について、突然とまどった。
彼女を奇異の目で見ているわたしって、なんなのか?普通の人間が彼女のような環境で育ったひとを普通ではない、
って言う思いではなしを聞いているのか?

部屋はすこし暖かくなってきていたので、わたしはさっきまで来ていたレザーのブルゾンを脱ぎ、壁際にあったコート掛けにつるした。
木で出来た分厚い板に真鍮なのだろう、くすんだ色の金属のフックがついている、アンティックなものだ。
この家に似合っているな、とつまらないことを思いながら、彼女を待っていた。

「おまたせ」
と言いながら持ってきたのは、バーボンだった。
彼女が作ったのだろう、簡単なオードブルのような物もある。

飲もうと言うのか?
わたしはアルコールは嫌いじゃないが、いまから飲むのには、気が引けた。

躊躇しているわたしを悟ったのだろう、彼女は
「すこし、飲みましょう。話も長くなっちゃうから」
そう言って、グラスにワイルドターキーを注ぐのだった。



Vol.12
ロックで飲むターキーは、のどを刺激しながら熱く胃臓に流れて行った。
彼女は、ストレートですこしづつ飲んでいる。
すこしの間、沈黙があった。
一体、わたしはどうしてここで、彼女とほとんど体が触れるくらいなところでいるのだろう?
そう、思った矢先、

「続き聞きたい?」
彼女がそういうのをわたしは、ただうなずいただけだった。
興味本位で聞くのではないが、聞かないことで気持ちが納まることは考えられなかった。

「父はね、最初は会社の同僚からお金を借りていたみたい。家を建てるから、
頭金にするからとか言って。それを何人にもして、返済の約束が
守られなかったから、借りた人たちが怒りだしたの。
そこでね、思いついたのがさっき話をしていたこと、つまり、犯罪なんだよね。
新聞なんかで見てると馬鹿げたことをしてるなあ、って思う銀行強盗なんだよ。

現金輸送車を狙って、覆面をして模造のピストルで脅かして、お金を奪おうと考えたんだね。
でも、そのときね、思いもよらないことがあったんだって。
現金輸送って大抵は専門の運送業者の現金専門の車両つかうよね。
それが、運送業者も銀行とこの手の犯罪を防ぐためにいろいろ手を打っていて、
その日は普通の車を使ったみたいで、父は計画を練ってから何度も下見をしてたけど、
その日に限って頑丈な現金輸送車じゃなかったのね。

あわてた父は、それでもいくらかのお金があると思って、ピストルで脅かしてお金を奪おうとしたんだよ。
もうね、多いとか少ないとか考えられなかったみたい。あ、お金がね。

結局、1000万円くらいしか入ってないバッグを奪って、盗んだ車で逃走したんだけど、その時はうまくいったみたい。

でも、すぐに警察が動き出したのね。
あたりまえだけど。それで、自分の身辺に捜査が及びそうになったのを察したのか、盗んでから、5日目くらいかなあ、
母とわたしを呼んでね、畳の上に輪のように座って、こう言い出したんだよ。



Vol.13
「父さんは、いけないことをした。だからきっと警察に捕まるんだよ。
夕紀、ごめん。こんな父さんでごめん。母さんにも謝るよ、でもこれしか無かったんだよ。

夕紀・・おまえはあと1年くらいで死んでしまうんだよ。
言いたくなかったけど本当なんだ。それで父さんが警察に捕まると母さんと二人で暮らして貰わなくちゃいけない。
でも、母さんは仕事にいけないんだよ。内職してもおまえの入院をさせてやることが出来ないんだ。
父さんには、おまえが1年でこの世から居なくなってしまうなんて信じられないけど、でも、こればかりはどうしようもないんだ。
夕紀が入院できるようにいろいろと頑張ってきたけど、もう警察に捕まるようなことをしたから、入院も出来なくなった。

こんなはずじゃ、なかったのにね。母さんとね、夕紀がんばれるか?
夕紀の父親として、美沙の夫としてわたしは恥ずかしいよ。許してくれなくてもかまわない。
でも、俺はずっとおまえたちのことばかり考えて来たんだ。それは、分かってくれるよね。
3人で幸せな家庭を作って、3人で仲良く鍋をつついてね、夕紀が大きくなって、
彼氏を連れてきたら一緒にどこへでも連れて行ってやろうと思っていたよ。
夕紀が結婚したら、きっと寂しいだろうなって思うこともあったけどね、思い切り喜ぶのは分かっていたな。
そしてね、夕紀と彼と母さんの4人で、お酒を飲んだり食事ができたらどんなに楽しいかなって思っていた。

でも、夕紀が3才の時にね、治らない病気にかかってしまったって知ったとき、父さんと母さんはずーっと泣いていたよ。
でも、思い直してこの子の人生は短いけど、一生懸命生きることを助けるのが、親だなって思い直してね、
それで、今日までがんばってきたんだ。でも・・・もうだめなんだ。生きていけないんだよ」

「そこまで言って、父は嗚咽してしばらくの間、声が出なかったようだったの」
と彼女はちょっと一息いれた。

「それでね、わたしがショックを受けたかと思うでしょうけど、そんなことはなかったの。
生きるとか死ぬとかって言うことがよく分かっていなかったこともあるけど、父の思いはもう分かっていたから」

わたしは、バーボンの独特の香りが部屋中に広がり、落ち着いてきた空気を感じていた。
そうだ、わたしも夕紀って言う子と同じかもしれない。夕紀?目の前の彼女だ。
なにがおなじなんだろう、そう思いながら、彼女の話が始まるのをグラスを傾けながら、待っていた。



Vol.14
父はこう言った。

「みんなで死のう」

母もわたしも驚かなかった。
死ぬっていうこと、これはどういうことなんだろう。生まれてきていなかったことになるだけなのだろうか?
それとも、いずれ近い内に命がなくなる自分自身の生き方のひとつと思ったのだろうか?

わたしには、今もそのときの自分自身の状態はわからない。
父は続けたんだよ。

「死にたくないってみんな思っているんだ。それでも、どうしても死ぬことが必要な時が来る人もいる。
その理由なんて、だれもわからないよ。うちはね、父さんがこんなにダメだから、もう死ぬしかないんだ。
生活保護受けようと思ったけど、それもできないんだよ。仕事しているからね。

それから、かわいそうなのは夕紀だろ。だから、一人では夕紀を死なすわけに行かないんだ。
いっしょに死のう。
怖いけどね、3人が一緒にいるからきっと大丈夫だよ」

そうしてね、父は四国の庵治(あじ)半島って言うところで飛び込みを考えていることを言っていたみたい。
もう、どうでもよかったからわたしはよく聞いてはいなかったけど、母と話をしていたよ。

四国の香川県にある瀬戸内海に面した庵治半島は、剣先のように海にせり出していて、崖がいたるところにあった。
夏には海水浴客も多く、わたしもよくJET SKIで遊んだものだ。

冬の庵治半島は人は少なく、おそらく今日もすこしの釣り人がいるくらいだろう。
海岸からすこし陸に入るとすぐに山になっていて、別荘地としても悪くなく、実際夏には別荘としてつかっているような建物も多い。

「こんどの、土曜日にいくから」

それが、父と母の決定だったよ。

そう言って、夕紀はグラスのバーボンをゆっくり飲み干した。



Vol.15
夕紀が語り始めた。バーボンのお代わりを用意してから。

「生きるってこと、これってすごく楽しいことだよね。いろいろな事はあるけど、楽しいと思うよ。
今わたしは生きてるけど、とにかく楽しいよ。なにがって事は特には無いんだけどね。
たとえばね、今日、こうやってあなた、あ、名前なんて言うの?わたしは、夕紀でいいからね。そう、こうやって会って話をしている。
不思議だけどこれも楽しい。
今日は、わたしは海に行っていたんだけどそれは、あの時の海だったの。
それで帰りにエンジン止めて、瀬戸内海の島をぼーっと見てたらあの時のことが目に浮かんで来てね、時が経つのが分かんなかった。

気がつくと、何時間もそこにいたんだよ。それで帰ろうとしたらエンジンが掛からなかったので、あなたに助けを求めたの。あ、ありがとう。

コーヒー誘ってくれたでしょ? わたしはあなたを危ないとは思わなかった。いろんな意味でね。
何でかって言われるとね、あなた、あの時とても寂しそうだった。

なんだか、自殺するんじゃないかなって言う感じがしてるくらい悲しい表情だったよ。一生懸命わたしの車を見ててくれてたけどね。
でも、わたしは分かった。

あなたの重苦しいくらいの感情があなたを圧迫してるのが。
だから、ここにあなたが居て、こんな話をしてるんだ。普通じゃないでしょ。
ふたりっきりでうちにいてさあ、バーボン飲んでるなんて。

それにわたしは自分のことを勝ってに話してる。おかしい?
きっとあなたはおかしいなんて思わないと思ってる。だから話してるんだよ。きっと、同類だね」

そう言って、夕紀はすこし微笑んだ。自分の方こそ憂鬱の固まりみたいな雰囲気を持っているのに、
わたしのことをちゃんと見据えていたんだと思うと、まさに同類の感じがしてきた。

「でね」
夕紀が続きを始めた。

父が言った土曜日に海にいったの。庵治半島の突端の崖っぷちにね。
3人で、歩いて行った。
家からは、30分くらいかかったね。でも、長いなんて思わなかった。
子供だったからほんとは遠いと感じるはずなんだけど、そんなことはなかったよ。

ふと、父がね、一枚だけ写真を撮るからといって、売店で使い捨てのカメラを買ってきた。
死ぬのに、どうするのかなって思うよね。わたしもわかんなかった。
それでね、売店の人に、海を背景に一枚だけ撮ってもらったの。
その時の写真が、今見せたこれなんだよ。

そう言いながら、夕紀はアルバムに入れている写真を指さした。

みんな、死んだような顔をしていた。



Vol.16
3人の顔は、それぞれが別のことを考えているような印象を受けた。
これから死ぬのが怖いようなそれでいて、今の生活が終わりになることで楽になることを信じているようである。

そして、いずれ死ぬ運命にある子供は、すでに息をしていないような感じすら受けた。
心中と言うのが一般的なのだろうが、そう言う言葉が当てはまらない。
ひとりひとりがそれぞれに別の事を思って、たまたま同時に死ぬだけのことのようだ。

ソウダッタナ。ワタシハ一緒ニ死ヌコトデココロボソサヲ紛ラワスナンテ
思ッテナカッタ。
タダ、近イ将来ニワタシニ訪レル「死」ガ早クナルダケノコトダト、思ッテイタニ過ギナカッタ。

父ハ、ソウデハナカッタヨウダ。父ハ、私タチニ満足ナ生活ヲ与エルコトガ出来ナカッタコトヲ悔ヤンデイタダロウ。

母? 母ノ存在ハ印象ニ薄イ。ドウシテダロウ?
母ハ、ワタシヲ必死デ看病シテクレテイタシ、ワタシハ母カラ生マレテキタノニドウシテカ?

母ノ感情ガワタシニハ、ドウニモ理解デキナカッタ。
道連レニ母ヲ父ガ連レテ、一緒ニ死ヌクライノ印象シカナイ。


Vol.17
その写真を撮ってからね、使い捨てカメラを崖の上に置いて、3人は靴をぬいだの。
みんな言葉は無かったけど、父が最後に言ったことは覚えてるよ。

「これは死ぬんじゃないよ、別の世界で生きるんだからね」

ああ、慰めてくれてるなとわたしは思ったね。
でも、父の優しい言葉もわたしには何の心の変化も与えてはくれなかったし、それでいいと思ったね。

崖から、飛んだんだよ。

ふわーっとね。
空気がとても、感じよくわたしの体の回りを通り過ぎて行くのが分かった。
どこに行ってるのかなあ、そんかことを一瞬思ったよ。
体はね、くるくる空気の中を回っているから、景色が回転してるんだよ。
瀬戸内海の島々が、全部わたしの目の中に入ってきたよ。

でね、そうしたら段々、青い空が急に暗くなった感じがしたの。
気を失ったのかなって自分で感じていたくらいだから、どうだったのかな?

でも、海に近づいたのは分かったよ。
あ、死ぬんだって思った。

海面が近づくってすごく怖いね。
死ぬってことより、怖いっておかしいかもしれないけど、怖いよね。

わたしは、ひとりで海の中に落ちて行った。




Vol.18
海は、暗かった。うんと沈んだんだね、きっと。
でもね、うっすらなにか見えるものがあったんだよ。

なにかなってよく見るとね、トンネルみたいだった。
ああ、あそこに行けばなにかあるのかなって思っていってみたんだよね。泳いで行ったと思うな。

トンネルかと思っていたけどね、違ったよ。岩の洞窟みたいだったな。
でね、そこにはいろんな人がいたんだよ。
泣いている中年の女の人とかね、怒ってばかりの男の人がいた。
年とってね、動けないおじいさんが手でわたしを招いているのも見えたよ。
若いカップルもいたよ、高校生みたいだったけど裸どうしだったな。
抱き合っていたけど泣いていたよ。

ココハ一体ドコナンダロウ。ワタシハ海ノ中ニイルノニ、モウ死ンジャッタノカナ?
ココデミンナ何シテルンダロウ?死ンダ世界ッテコンナノカナア。イヤダナア。

モット、楽ナハズナノニナンダカミンナ悲シソウダヨ。
ワタシハ、ココニハ居タクナイヨ、怖イヨ。助ケテ!ココカラ出シテ!

そう思ったとき、いきなり強い力でわたしの体が、
なにかに引っ張られて行ったんだ。




Vol.19
わたしは、海辺の砂浜の上にいたのに気がついた。
ひとがわたしを囲んで体を押して人工呼吸してる。
おかしいね。生きてるわけないのに。
でも、わたしは死ななかった。ここにいるから死んでるわけないよね。

やがて死ぬはずだから、死んでもいいのに生きていたんだよ。
そのかわり、父と母は死んじゃった。
だから、そのあとはわたしは孤児院で育ったんだよ。

医者に死ぬって言われていて、死なずにここにいてあなたと
話をしてるって、おかしいよね。
結局、わたしは死なずにすんだんだけど、医者もなぜかわからないって。

人を殺したって言ったよね。そうなの、父と母を殺したことと同じだよね。
だからわたしは、父と母の命を背負って生きていかなきゃいけない。

みんな優しく言ってくれたけどね、あなたのせいじゃないって。
違うんだよ、わたしのせいなのにみんな慰めてくれるのはいいんだけど、
これは全部わたしのせいなんだよね。

あなたは分かるよね? わたしのせいだってこと。
分かるはずだよ。だって、何にも言わずに聞いているし、わたしには分かる。
「君には、悪いこと無いよ」って言われるような人にはこんなこと話すわけないよ。

また、夕紀はバーボンを飲みながらため息をついた。
それから、話し疲れたのだろう、テーブルに頭をつけてしまった。



Vol.20
少しの間、わたしは夕紀の姿を見ていた。
テーブルに額をつけて何を考えているのか。
おそらくは、話した内容からまたそのときのことを思い出して、呵責の念が湧き出てきたのだろう。

呵責?実際、彼女が殺人を犯したわけではないのだ。
しかし、人を殺したと言うことも分からない論理でもない。
責任が彼女にあるわけはないが、彼女自身が耐えきれないのだろう。
引き金になったのが自分自身だったことに。

さらに、死ぬことになっていた病が治って今も生を持っていることが父と母に言えないことが苦しいのだろう。

そうしていると、彼女はテーブルから頭を起こし「わたし、寝てたのかな? 夢をみてた、海の中の洞窟のゆめ。
嫌な感じだったな。でも、そこにはおとうさんとおかあさんがいたの。
そしてね、楽しそうに話しているの、夕紀は大丈夫みたいだねって」

わたしは、夕紀の顔を見ながら自分自身の生活のことを思い浮かべていた。




Vol.21
わたしの人生ってなんなのだろう。
これが普通なのかもしれないが、生きていること以上になにがあると言うのか。
結婚して、5年経つ。子供は男の子がひとり。3才になる。

確かに、子供はとてもかわいい。自分でもこんなに子供好きだったのかなって思う時もよくある。

会社、これは収入を得るためだけのものだ。特にやりがいなんて殊勝なことを言うことはないし、言えるような状況ではない。
会社での、自分の立場は悪くはないかも知れない。

しかし、それだけのことであって、それ以上のものではない。
はっきりと言ってしまえば、収入源がほかに安定してあればすぐにでもやめたい。

家庭。いよいよ分からないのがこれだ。
一体、家庭とか家族ってなんなのだろう。わたしは以前にも書いたがなにひとつ、不自由なく育った。
家族は健康で経済的にも困ったことはない。一応、大学も出ている。
これもそれだけのことだ。

家族の楽しみ?
食事を一緒にとることか?
子供の成長を楽しみにすることか?
家族でアウトドアでキャンプをすることか?

一体それがどうしたと言うのだろう。
すべてが、空白な感じなのだ。
空虚と言うのがいいのか。



【Vol.22】
わたしの人生ってなんなのだろう。
これが普通なのかもしれないが、生きていること以上になにがあると言うのか。
結婚して、5年経つ。子供は男の子がひとり。3才になる。

確かに、子供はとてもかわいい。自分でもこんなに子供好きだったのかなって思う時もよくある。

会社、これは収入を得るためだけのものだ。特にやりがいなんて殊勝なことを言うことはないし、言えるような状況ではない。
会社での、自分の立場は悪くはないかも知れない。

しかし、それだけのことであって、それ以上のものではない。
はっきりと言ってしまえば、収入源がほかに安定してあればすぐにでもやめたい。

家庭。いよいよ分からないのがこれだ。
一体、家庭とか家族ってなんなのだろう。わたしは以前にも書いたがなにひとつ、不自由なく育った。
家族は健康で経済的にも困ったことはない。一応、大学も出ている。
これもそれだけのことだ。

家族の楽しみ?
食事を一緒にとることか?
子供の成長を楽しみにすることか?
家族でアウトドアでキャンプをすることか?

一体それがどうしたと言うのだろう。
すべてが、空白な感じなのだ。
空虚と言うのがいいのか。
てないバッグを奪って、盗んだ車で逃走したんだけど、その時はうまくいったみたい。

でも、すぐに警察が動き出したのね。
あたりまえだけど。それで、自分の身辺に捜査が及びそうになったのを察したのか、盗んでから、5日目くらいかなあ、
母とわたしを呼んでね、畳の上に輪のように座って、こう言い出したんだよ。




Vol.23】
夕紀がわたしがぼーっとしていたのを怪訝そうな顔で見ていたのを、やっと気がついたとき、窓の外は薄暗くなっていた。

窓から見えるプラタナスだろう木々は悲しい色をして春を待って居るようだ。
そうだ。
春が来るんだ、そう思ってみたがそれがなんだって言うのか。
時の移り変わりが奇妙に見える。
四季? 繰り返すだけじゃないか。

帰るべき時刻なのだろうが、帰る気にはとてもなれなかった。
夕紀の表情が今のわたしの乾燥しきった感情をきっと癒してくれると思わざるを得なかったのだ。

「ご飯、食べましょう」

夕紀はそう言って、手早く夕食、と言ってもフランスパンにキャビアを乗せただけの物だったが、
それを持ってきて熱いコーヒーもまた、入れてきれくれた。

ふたりはほとんど無言で、それを食べた。

次に起こるだろうことを、いくばくかの不安と期待を抱きながら。



Vol.24
体と体が触れ合ってそれが感情の中をくすぐり、形而下のもやもやの世界を晴れやかにしているのが、わたしには分かった。

体と体の融合。
それは、単なる接触ではなかった。

感覚の思うがままに体は動き、お互いを確実に高めているのが夕紀も感じたはずだ。
それは、激しい感情の交錯だったかも知れない。
しかし、わたしにはかならず感情と意識下のものが彼女と同一化する確信があった。
いままで、そういう思いをしたことがあったか?
いや、初めてである。

初めての感覚。
好きとか愛とか軽く済ませたくない思い。
言ってみれば、感情の共有をしたかっただけかも知れないが、それが全てだった。

初めて会って、全てが分かったとは言わないがそう思わせるなにかがあった。
過去に体を交わらせた相手からこういう思いを持ったことがあったか?

体じゃない。会ったときからすでに、交わっていたような気がする。
会った瞬間から、声をかけた瞬間から、わたしたちは同じだったはずだ。

なにが同じなのだ。
なにを共有してるのか。
おそらくそれは、生きることを諦観しているわたしたちの不毛の思いかも知れない。

体を触れあいながら、夕紀は言った。
「わたしね、あなたと同じなんだ、結婚してるんだよ」
夕紀は一人でいると思っていたわたしは、驚いた。正直言ってそんなはずはないと思った。

子供はいなかったが3年前に結婚している。
この家は夕紀がひとりで使っているので妙に所帯くささがないはずだ。

つまり、二人とも配偶者がいるのだった。
一般的には、いけない行動だろう。不倫と言うのか。
一般的とは、なんなのだ。不倫とはなんなのだ。

概念が固定されたひとたちには、弾劾されても仕方ないがわたしたちは、そうではない。
決まった家庭。家庭の平和。団らん。
子供を遊園地に連れて行ってソフトクリームを食べるのが、一般的なのか。
それが、幸せなのか。平和な家庭なのか。

表面は、どうにでも繕える。しかし、どうしても意識下で不自然さを感じていた
わたしは、夕紀と体を触れあいながら子供のように心がときめいていた。



【Vol.25】
意識ってなんなんだろう。
思っていることなんていう、単純なものではないだろう。
意識に限らない。
感情もそうだ。
一体、奴らはなんなんだ。それで、かれらはわたしたちを、楽しませてくれてるのか?

いま、夕紀と触れあいながら、感じているのは一体なんなんだろう。
単なる性欲じゃない。
愛情?
そうかも知らないが、言い切れる自信は今は無い。
しかし、言えることはわたしと夕紀がまぎれもなく普通では無い関係になっていることだ。
普通と言う言葉がわたしをどれだけ、縛っていたのだろうか。
一般的なひと、普通の考え方。
それが、わたしが自分に与えていたテーマだったのか?
世間が認めてくれる処世法と、勝手に思っていたのだ。
ちがう。

わたしはそれに中にいることで安心していただけなのだろう。
普通であることが、自分を正当化してそれに安住していただけなのだ。
今は、普通では無い行動を取っている。いや、これが普通なのだ。

今日、知り合った夕紀とのふれあいは「普通」なのだ。
今の行動を正当化しようと言うなど、思ってなんかいない。
少なくとも、わたしの今の純粋な感情が、夕紀と抱き合うことを普通にしているのだ。

感情に、素直でいたかった。
いままでは、世間の常識、普通の人間の役目がそれを自制していたのだ。
思いのままに行動すること、これはひょっとすると世間的、または、家庭を持っている人間に取ってはいけないと、
批判されることになるかもしれない。

しかし、わたしはその批判を受けてみよう。わたしは、常識人ではない。
レールの上しか、走らない電車じゃないのだ。

to be continued...
(HAPPYENDさん、続きをお待ちしています。)